厳長山釈迦本寺は、かつて上総国伊保庄置津郷(千葉県勝浦市興津、守谷、浜行川、大沢、鵜原、台宿、植野、上植野、上野、大森、名木、中島、中里、赤羽根等)を治めていた佐久間氏の釈迦堂であったと伝えられています。文永二年(1265年)、領主佐久間重貞公の長男である美作房日保上人がこの釈迦堂を寺院へと改めました。
文永元年(1264年)、この釈迦堂では、日蓮聖人による十日間にわたる説法が行われました。その教えに深く感銘を受けた佐久間重貞公やその家臣たちは、日蓮宗へと改宗しました。
その頃、興津の地では疫病が蔓延し、人々は深刻な被害に苦しんでいました。これを憂慮した佐久間重貞公は、日蓮聖人に疫病退散を願い出ます。日蓮聖人は、白布に御題目を書き記し、それを船尾に結びつけた船に乗りながら、興津湾を巡回しつつ御題目を唱えました。さらに、この釈迦堂のそばに井戸を掘らせ、経文をしたためた御石を井戸の中へ納めました。そして、その御水を病に苦しむ人々に飲ませたところ、驚くことに疫病がたちまち鎮まったと伝えられています。
この井戸は「御符水井戸」と呼ばれ、現在では直接水を飲む事は出来ませんが、病気平癒を祈願すると御利益があるとされています。


観光情報詳細
文化財 | 経石(日蓮聖人自筆) 釈迦仏の坐像(天台宗の恵心僧都作) 御符水井戸 日蓮聖人自筆の御曼荼羅 |
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住所 | 〒299-5245 千葉県勝浦市興津字東町通2652 |
交通案内 | JR外房線上総興津駅より徒歩3分 |