繋船柱碑(けいせんちゅうひ)は、江戸時代に仙台藩によって運ばれ、興津港に設置された石柱です。この石柱には、宮城県仙台市・石巻地方で採れる仙台石が使用されています。
江戸時代、仙台藩は江戸へ米を運ぶ「廻米(かいまい)」のため、興津港を中継地点として利用していました。そのため、多くの仙台船が興津港に停泊し、船を係留するための石柱が十数本も設置されました。
また、興津港の東側に位置する天道山の麓には、仙台藩の陣屋が建てられ、興津港に停泊する船の監視や取り締まり、連絡業務を担っていたと伝えられています。仙台藩が興津港を利用するようになったことで、興津の街は大いに賑わいを見せました。
その繁栄の名残として、興津には「千軒」という地名が今も残っており、当時の活気ある様子を物語っています。現在、当時使われていた繋船柱の一部は、広栄山妙覚寺と興津港海浜公園に文化財として保存されています。
この繋船柱碑は、江戸時代の海運と興津の歴史を今に伝える貴重な遺構であり、当時の興津港が果たしていた重要な役割を知る事が出来る史跡のひとつです。

観光情報詳細
駐車場 | 143台(興津海浜公園内) |
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交通案内 | JR外房線上総興津駅より徒歩10分 |